与えあう愛

第一コリント13章13節
「こういうわけで、いつまでも残るのは、信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。」

アガペの愛。
そう…愛は、何にも勝る特効薬。料理に例えれば調味料。でも…これが、難しい…。


「二匹の猫」

ルシア

私の次女が、離婚問題で毎日泣いて札幌の私に電話していたころ、札幌の私の家には猫がいて名前は「えん」。
縁があって私のところに来たのでそう名付けた。外国人の女性の方が国へ帰ることになり、家の近くのペットショップに預け飼い主を探していて私のもとへ。
ロシアンブルーに似ているが、タイのコラットという種。
娘は一度札幌へ遊びに来て、えんを知っている。毎日えんちゃんが溶けちゃいそうなほど撫でていた。「えんちゃんに会いたい!」そう泣いていた。そんなある日、娘の働く病院に迷いネコで現れたのがルシア。えんにそっくりの毛並み!娘から弾んだ声で電話があり、「ママ!私のところにも『えん』ちゃんが来た!」

私は、主が、毎日がんばって患者さんのために尽くす娘に猫を与えてくださったのだと確信している。娘はいつもその猫に覆いかぶさって、自分の悲しみのすべてをぶつけていた。私がルシアという名前を選んだのは「たいせつなきみ」という絵本から。造り主である神様の存在を子どもたちに知らせる、その物語の主人公が、ルシア。

ルシアは聡明な猫で、いつも娘を支えてくれた。ルシアの目は美しく、深い瞳で、外を眺めている静かな猫。でもおかしいのは、娘の愛はルシアにとってときどき「Too much!」

チュッチュッチュッ、耳を噛んだりされて、相当我慢しているルシアも時々うなっては、娘を追いかけ、トイレに逃げ込んだ娘が出てきた瞬間を待ち構えていて足首に噛みつく!

でもそのルシアも今、17歳を過ぎ、随分弱った。顔つきや目は強いそのままだが、足腰が弱り、外を眺めるのに大好きなゲージまでは、階段だらけ…。今横浜で暮らし始めた家は静かな住宅地で、鳥やセミが飛んできて、ルシアは気に入っている。

娘はもう泣かなくなったけれど、チュッチュ攻撃は相変わらず。でもルシアにはもう、娘を追いかける力はない。

神様が備えてくださったとしか思えない今の環境、3階建ての角部屋同士、エレベーターがないので娘のシフトに合わせて、朝から行ったり来たり、とても便利!今ルシアが一番大好きなのがバアバ(私は孫にも『まりちゃん』と呼ばせているのに、娘が私を猫たちのバアバにしてしまった…)のお祈りと、賛美してもらうこと。

主の豊かな愛のうちにある私の平安を感じるのだろう。

ルシアは娘に長い間、持てる愛を注いできたから、娘が仕事に出かけると、娘には出さない声で私を呼び、祈りと賛美を求める。愛は、与へ、与へられるものだから…。お祈りをして、私は「アーメンしたから大丈夫だからね!」ルシアは目を閉じて安心している。

何年も前に、八千代でルシアはマンションの5階から落下して、医者にも難しいと言われた手術を受けたことがあった。そのとき私は娘を座らせ、ともに祈った。「どうぞ、神様、ルシアを連れていかないでください。」
ルシアは奇跡のように助かった。そのことをルシアも知っていて、神の存在を知り、感謝しているに違いない。


慈雨

この猫の元の名前は「豆の助」。

飼っていたお年寄りが亡くなり、保護センターに預けられた。練馬のかなり遠いところなのに、娘は土日に開かれる譲渡会に何度か足を運んだ。普通はすぐ飼い主が現れるけれど、もう大人で、少しすねた表情で、いつも目やにをつけてる豆の助は誰にももらわれない。娘は豆の助がどうしても気になり、トライアルとして連れて帰ってきた。

でも、先住猫のルシアを豆の助が追いかけるので、トライアル期間中に一度返そうかとも…。それでも結局、不経済とは思いながらも、もう一部屋借りてまで豆の助を引き取ることになった。

「豆の助」としての人生は終わったのだから名前は変えたほうが良いよと言うと、娘はその子を「慈雨」と名付けた。

元の飼い主が亡くなったことに続き、慣れない譲渡会で視線を浴び、落ち着かない猫だった「慈雨」。せっかく決まった自分の人生が変えられてしまうのを恐れてか、電話の音がするたびに怯え、“やめて!やめて!”と鳴く。この猫はまだ若者だから娘のチュッチュ攻撃も激しい。いつも仕事帰り私のほうへ寄って、夕食を食べ、ひとしきり慈雨とたわむれるのが娘にとってのストレス解消。でも慈雨も時々、娘のしつっこさに辟易して猫パンチを繰り出す。爪を出すのは我慢しても、あまりしつっこいと、やられて何度か顔に傷を付けられた。

慈雨は私には何か大きな愛や安らぎを感じるらしい。娘がいないとき、猫たちにとって私は愛の充電器。Fullになるまで私の胸の上に乗って、遠い目で何かを考えているようだ。私はふと、あー!!私もルシアや慈雨から癒しをもらっているんだなー、と感じた。暖かくて、フワフワで…。

主が「私を愛するものを、私も愛する」とおっしゃっているように。


娘も愛がいっぱいの人間だけれど、患者さんや動物には目いっぱい優しいけれど、母親である私には言葉でその愛を伝えられない。だから言葉の代わりに、買い物に出かけると必ずお土産を買ってきてくれる。バッグやTシャツ、写メを撮って「どっちが良い?」
私は時々、それらの物より(もちろんありがたいし嬉しいけれど)「ママ、いつもありがとう!」その言葉が欲しいんだけれどな…とつぶやく。

でも今年の母の日、娘は疲れているのに帰りのバスを途中下車してイオンに寄り、花束を二つも買ってきた。
顔いっぱいの笑顔で「はい!いつもありがとう!」(私はその花を冷凍にしてとってある)

そうか、Mothers’ Day、神様はきっと愛情表現がちょっと苦手な人でも、この日だけはためらわずにママへの愛を伝えられるようにと、そのためにこの日をお造りになったのだ!


第一コリント14:15
「私は霊において祈り、又、知性においても祈りましょう。霊において賛美し、又、知性においても賛美しよう。」

ルシアの好きな賛美
You Raise Me Up
You are My Hiding Place(主は我が隠れ場)
In His Time(神の御手の中で)

You Raise Me Upの歌詞は完璧に覚えている私だけれど、他は歌詞が思い出せないので、サビのフレーズを繰り返すだけ…。
そして、何をするときでも「Jesus Loves Me~♪

霊において祈り、賛美している確信があります。それで充分ですよね、神様!

夏の終わりに…
黒柳 眞理

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください