微笑みながら

伝道者の書 3章1~8節

『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。』

この聖句の中には人生のすべてがあると、含まれていると感じる。
このことさえ、しっかり心のうちに刻み込んでいれば、何も恐れることはない。

私の著書に「Wake Up = 心の目を覚まして」というのがある。
Non Christianの人に、少しでも主の存在を知ってほしいと願い書いた本である。タイトルのWake Up、聖書の中にも、「だから目を覚ましていなさい」という箇所が沢山ある。いわゆるものを見る目ではなく、”inner eyes” 内なる心の目である。
「耳があっても聞こえない、目があっても見えない」主はよく嘆いておられる。全盲のピアニスト辻井伸行さんのピアノは心の目で総てを見ているから、あんなに素晴らしい演奏をなさるのだろう。

Wake Upは、私の0才から61才までの人生史のようなもの。
実際には北海道の中西出版で出版されたが、はじめは講談社の依頼で書いたものである。
「トットちゃん」姉の本が講談社であることから、大人の事情で断念したが…。

講談社の、私についてくれた編集者は、とても素晴らしいベテランの男性でした。
校正をしながら、私の40代、どうしても触れなくてはならない「離婚」の問題を、「眞理さん、ここをしっかり描かないと、読者は何か『逃げている』『触れたくない』みたいなことを察知する。書けないなら、本はやめたほうが良い」と厳しかった。
でも、私は離婚の理由を説明したり、述べたくはなかった。
そして、思いついたのが、この伝道者の書の、このみことば…

”どうだ!文句あるか!” 編集者も納得してくれた。

講談社で出版されていたら、私の生活は豊かにはなっていたかもしれないけれど、姉との関係は終わっていたかもしれないから、全ては主の御心であると捉えている。

ダビデの子、ソロモンも、栄華を極め、全てを手に入れる経験をした末につぶやいたのが「空の空、すべては空」「実に知恵が多くなれば、悩みも多くなり、知識を増すものは悲しみを増す」(伝道者の書1:2、1:14)そんなふうに語っている。

何か絶望的にも感じてしまうが、「何事にも定まった時があり、総ての営みには時がある」若い人には、まだそれを把握するのは難しいかも分からない…76才になった今の私にとっては、そしてそれなりの人生を生き抜いてきた私には、一番好きな箇所であり、「うん、私の人生はこうであったし、これで納得」なのである。

この伝道者の書の前、箴言の最後、31章、25節26節
『彼女は、力と気品とを身につけ
微笑みながら後の日を待つ、
彼女は口を開いて 知恵深く語り、
その舌には恵みの教えがある』

私が希望している、理想の女性像である。

そろそろ秋
黒柳眞理

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