祈り…Prayer

私たちクリスチャンにとって、最も基本的で秀でているとされている「主の祈り

さてイエスはある所で、祈っておられた。
その祈りが終わると、弟子の一人が、イエスに行った。
「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、
私たちにも祈りを教えてください。」
そこでイエスは、彼らに言われた。
「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、御名があがめられますように。
御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
私たちの罪をお許しください。
私たちも 私たちに負い目のある者をみな赦します。
私たちを試みに会わせないでください。』

ルカ11章1節、2,3,4節

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、
災いから遠ざけてください。
私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』
そこで、神は、彼の願ったことをかなえられた。

ヤベツの祈り 歴代誌4章9節、10節

イエス様も、十字架につけられる前の日、辛い、辛い祈りをされた。オリーブ山、ゲッセマネの園で、ひざまずいてこう祈られた。

「父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし私の願いではなく、みこころの通りにしてください。」
すると御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。
イエスは苦しみ悶えて、いよいよ切に祈られた。
汗が、血のしずくのように地に落ちた。

ルカ22章、41,42,43,44節

「祈り」はクリスチャンに与えられた特権でもある。しかし、私たちの祈りは、なんと安易なものだろうか。
クリスチャンでない者たちも、本当にすぐ手を合わせ祈る。
「宝くじが当たりますように!」
「受験に受かりますように!」
「助けてください!」

祈りについて書こうと思ったのは、数日前に見たテレビ、大好きな番組であるが、NHKの「こころの時代」(牧師や仏教の僧侶の話もある)がきっかけである。先日見たのは、教会の礼拝堂でのインタビュー。、私は残り少ない時からスイッチを入れたので(でも私はいつも聖霊に導かれるようにこれを観なさいと教えていただく)もったいないことをした。話しているのは牧師かと思われたが、実はクリスチャンのカメラマンであった。世界中を飛び回っていたかなり著名な方。その名は桃井和馬氏。

その日のタイトルは「戦場から祈りへ」。数年前に奥様を亡くされ、その悲しい闘病生活、看護の中で、妻のために本当にたくさん祈った。でも決して神様に「妻の病気を治してください。病を回復させてください」とは祈らなかったとのこと。「神は自動販売機じゃないのだから…」と。
「ただ、これからどんな辛いことが起こっても、それを受け入れられる力をお与えください」と祈られたそうだ。そして、ご自身の祈りの質が確実に変わったのを感じた。以前なら、ただ「助けてください」だったのに。カメラマンとして出会った様々なこと。サバンナでの、アカシアの木、シロアリ、風、総てがそこでは必要なものだった。神がお造りになるものに無駄なものはない。桃井さんは「ヒューマニズム」という言葉が嫌いだとおっしゃった。それは人間中心主義だから。人間はこの地球の主、あるじではない。ほんの一瞬、生かされているだけに過ぎない。

教会に入ったり、あるいはムスクでも、人間は自然と頭、こうべを垂れる。それは宗教に関係なく。ユダヤ教の男性が頭に乗せる黒い小さな帽子、それは雨よけにも日よけにもならないが、常に自分の上にある神を意識するために被っているそうである。

表現のしようのないもの…
今、スマホでなんでも調べられる時代でもこれには答えがない。
桃井さんは、昔から今まで自分の意志で選んだことはないそうだ。操り人形のように、大いなる何か、超えたものに用いられていることに感謝していると。今、カメラを向けるのは、冬の枝にしがみついたように残っている二つの柿の実、大空をつがいで飛んでいる二羽の鷲。

桃井さんの話を聞き終えて、改めて毎朝毎晩の自分の祈りを反省した。勿論たくさん感謝することもあるけれど、途中で恥ずかしくなって、「神様、お願い事ばかりでごめんなさい!」と謝ることがあるほど。
本当に、神様のことを、「自動販売機」のように、お金の代わりに、祈りをすれば、「ガチャン」と答えが出てくると思って…。

「声に出して、言葉にして祈る」それは正しいけれど、主は、とっくに何でもご存じなのである。取り繕って言葉を飾って祈るのは辞めよう。

一つ、忘れられないエピソード。
札幌国際キリスト教会のLee Soo Goo牧師について。北海道に居た頃、それも何十年か前(40年前くらいかな)道の横に積まれた雪は黒くて不思議だったが、その理由がスパイクタイヤが削った粉塵のためだと知った。そのうち、スパイクタイヤが禁止になり、スタッドレスへ。ところが、スタッドレスタイヤが通ったところは、ツルツルに滑る。(私も札幌に移住した初めての冬、そのために滑って鎖骨を折った!)ある日、李先生が車で坂道に向かった時、ハンドルは全然きかずブレーキも効かない。先生は、ただただ、「主よーーー!」そう祈った。そしたら主が車を止めてくださったそうである。私はこの話が忘れられず、時々真似をする。
主はその御翼で必ず救いあげてくださる。ただし、そうしていただける信仰心を持ち、行いをしていなければならない。

アメリカの元大統領トランプ氏も熱心なクリスチャンであるそうだから、選挙前に随分祈ったに違いない。「どうか選挙に勝てるように。どうか再びPresidentになれるように!」でも主は、彼の行いを見ていらした。

春が近い!!
黒柳 眞理

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