N響のコンサートマスターであったヴァイオリニストの父は、
「芸術の中で一番好きなのはバレエだ」とよく言っていました。

北千束の家の近くには、当時バレエ界の第一人者であった小牧正英のスタジオがあり、
私はごく自然にバレエの世界へと導かれていきました。

その頃の日本のバレエは、まだ技術に重きが置かれていましたが、
ボリショイの入学試験はさらに厳しく、祖父母の代まで遡って体型を調べられるほどでした。

足を持たれてどこまで上がるか、背中の柔軟性、股関節の可動域――
一つひとつを確かめられるたびに、胸が高鳴ったのを覚えています。

チャイコフスキー記念東京バレエ学校の入学試験。
ボリショイ劇場から来た二人の教師による身体検査。

メッセレルという女性教師は、
伝説のバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの叔母にあたる人でした。

魅力的で鋭い眼差し。
上から下まで、じっと見つめられる。

顔の小ささ。
脚が真っ直ぐで、わずかにX気味であること。

私は父に似て、真っ直ぐな脚でよかった。
技術はいくらでも後からつく。
まずはそれが絶対条件でした。

やがて、ボリショイ、レニングラード・バレエ団とともに、
日本各地を巡る公演に参加するようになります。

父はコンサートマスターとして、
オーケストラピットに静かに座っていました。

『白鳥の湖』第2幕。
オデットと王子のアダージョ。

コール・ド・バレエの最前列でポーズを決め、
音楽がぴたりと止まる。

そして――
父のソロが始まる。

その瞬間、私まで心臓が止まりそうでした。

来世、生まれ変わるなら――

もう一度、バレリーナに。

続きはまたの機会に。